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おとぎ話「大学前」駅(筒井 健二)

豊橋鉄道渥美線に「大学前」という駅(通称ではない)が、1968年4月から2005年1月に「愛知大学前」に改称されるまで存在したことを、懐かしく覚えている方も多いことだろう。
私は1987年夏に名古屋から豊橋に移り住み渥美線を通勤に使うことになって、「えー、大学前って何大学の前?」と無味乾燥な疑問を持った。だが、「大学前」で通じることに、「へー、これは楽しいぞ、大都市ではありえん、おとぎ話の町だ」と妻共々何ともなく心が弾み、「豊橋っていいなー」と嬉しかった。
つい先日車内で切符を買う時、ふと「大学前まで1枚」と声が出てしまったが車掌はためらいなく切符を切り、気持ち顔が綻んだ(「年配者が昔の駅名を言っている」という風ではなかったからだ)。「大学前」という、明確さに欠けた呼称の意外性、それが豊橋にしかないという固有性、そしてその駅が37年間豊橋の文化を成して歴史を刻んできたことに、豊橋を訪れる人はきっと羨望を抱く。町の魅力は、その町の文化の歴史が息づいた、おとぎ話のようなものの中にある。
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